キャシー中島 ブログ。 キャシー中島が教える「冷感マスク」の作り方に視聴者から大反響!(2020年5月26日)|BIGLOBEニュース

キャシー中島が旦那・勝野洋と離婚しなかった理由を明かす 娘や息子との関係性は?

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本当に再婚していたなら、ニュースにもなるだろうしな。 一切メディアで触れられてないってことはガセネタってことだよな。 また、他にも再婚の話がガセだと考えられる事情が多々あります。 というのも、猪田さんは今も勝野家と深く関わって事業を進めているからです。 2人は2007年に、七奈美さんがジュエリーデザイナーでもあったことから、猪田さんと共にアクセサリーショップ「Manna Island(マナアイランド)」を設立しています。 デザイナーはもちろん七奈美さん(NANAMI)で、天然石や貝、パールやサンゴなどの素材を使ったハンドメイドアクセサリーを制作し、南青山で路面店を出店していたのです。 その後、商品数の増加などを受け、路面店を南青山から三軒茶屋店へ移転… 2009年から株式会社化して「株式会社Manna Factory(マナ・ファクトリー)」を猪田さんが代表取締役になって設立しました。 マナ・ファクトリーの会社概要には、役員にこのような記載があります。 代表取締役社長:猪田武• 取締役副社長:勝野洋輔• 取締役:勝野雅奈恵 この株式会社マナ・ファクトリーは現在も代表取締役が猪田さんですが、取締役副社長に七奈美さんの弟・ 「勝野洋輔」さん 取締役には同じく七奈美さんの妹である 「勝野雅奈恵」さんが務めています。 この点から 猪田さんがキャシー中島さんのファミリー(勝野家)と未だに交流があり、深い関係にあることがわかります。 これだけガッツリ勝野家に関わっていたら、再婚をしているとは考えにくいですよね。 しかしながら、キャシー中島さんは猪田武さんに対して、自身の公式ブログでこんな温かいメッセージを残しています。 武ちゃんに聞きました、 あなたの人生よ、まだ若いのだから 次に向かって、歩き出していいのよと、武ちゃんの返事はここに書く必要はないでしょう。 とても大切な言葉でした。 私達家族の宝です。 (2009年9月13日抜粋) 義理の息子、武ちゃんが会場に来てくれました! 本牧出身の武ちゃん、熱心に展示を見ていました!(2014年8月20日抜粋) 武ちゃんは私達ファミリーの一員であり大切な人です! 武ちゃんが一人になりたいと言うまで、私の義理の息子でいてほしい。 猪田武は勝野家には必要な人です。 だから、一緒にいるのが自然なのです。 でも「義理の息子」っていう言葉を使っているところを見ると、やっぱりまだ再婚はしてないんだろうな。 キャシー中島さんの愛を感じる言葉ですよね。 逆に、既に再婚をしていたら、こういう言葉って出てこないでしょうし、ビジネス上の関係性を続けていくことも難しくなるのではないかと考えられます。 そのため、再婚したという情報はガセなのではないかということなのです。 キャシー中島の長女(娘・ななみ)死因は肺がん「タバコ吸ってなかったのに…」 2009年2月、新婚旅行先であったハワイで 「咳が止まらない」などの体調不良を訴えた妻・七奈美さん…病院での検査の結果、 肺癌(小細胞肺癌)が見つかるのです。 小細胞肺癌(しょうさいぼうはいがん)というのは、喫煙者に多いがんです。 かなり手ごわいがんで、増殖が速く、転移もしやすいです。 治療法は薬物療法や放射線療法に対する効果が高いものの、5年後の生存率は5~10%と極めて低いとも言われているがんでした。 七奈美さんはカテーテル治療や重粒子線・陽子治療などを試みましたが、2009年7月7日に七奈美さんは帰らぬ人となってしまいます。 本名は「勝野七奈美(ななみ)」さん、父親「六洋」と母親「八千代」の間の数字、「七」の文字をつかって名付けられた名前です。 両親の愛情を感じる命名ですよね。 1979年生まれだったから、享年29歳。 若すぎる死だな…。 2008年11月の結婚からわずか8ヶ月。 「小細胞がん」という、特に進行の早いタイプのがんで、生存率わずか6%と宣告されます。 勝野ななみさんはあくまでも前向きに、 「その6%に入ればいいんでしょ」 「治らなくても、がんに負けなければいいんだ」 と、様々な治療を試しますが、額や骨など、身体の様々な部位に転移が進んでいきました。 カテーテル治療や重粒子線・陽子線治療など、様々な高額な最新治療に当たってみたといいます。 しかし、がんの進行を食い止めることはかなわず、同年7月7日に29歳の若さで息を引き取りました。 葬儀と告別式は、千日谷会堂(新宿区・一行院)で行われました。 喪主は夫の猪田さん。 ところで、 ななみさん、実は喫煙者ではなかったのです。 それにも関わらず、肺がんの中でも一番最悪な「小細胞がん」になって亡くなってしまうとは…。 それでもまだ「肺炎」の診断しかされなかったんだな。 本人たちも気管支炎のまま旅行なんてしたから肺炎に進行してしまった、位にしか考えて居なかったんでしょうね。 まさかこれが「肺がん」だったなんて、その頃は知る由もなかったわけです。 当然、肺炎の薬で良くなるわけもなく、今度は 鎌倉の病院で精密検査を受けました。 そして、ついに「 肺がん」であることが発覚したのです。 検査の結果は肺がん…肺がんは早期に発見し治療すれば8割は快方に向かうと言われているがんです。 肺がんと診断されてもなお、キャシー中島さんをはじめ、家族も、またななみさん本人も、この時点では希望を捨てていなかったと思います。 しかしその後、国立がんセンターで再度検査を進めると、肺がんの中でも進行が早くて最悪な「 小細胞肺がん」であることが判明したのです。 この日のことについて、キャシー中島さんはブログでこのように語っています。 その日は勝野の35周年の特別公演を日本橋の三越劇場でやっていて、次の日が千秋楽でしたので、誰にも言えませんでした。 (中略) もっと早くがんということが分かっていたら、こんな結末にならなかったのでしょうか。 本当に本当にがんの中でも、小細胞がんは最悪ながんです。 私はただ側で見ていることしか出来ない母親でした。 小細胞がんが最悪といわれるのはなぜかというと、転移が早すぎて、 発見される頃には既に末期になっていることが多いからです。 手術では取り除ききれないレベルで全身に転移してしまってから、ようやく発見されるってことです。 見つかってからでは、どうしようもないのです…。 ななみさんの過酷な闘病生活 闘病生活について、キャシー中島さんはブログに辛い心境をつづっています。 食べたいのに食べられなかったね。 のどが痛くて痛くて がまんしたよね。 最後に食べたのがピオーネ! それも一粒の半分をやっと。 今日は8回しか泣いてないよ、前進だね。 ななみ!ママを褒めてね 長女・ななみさんの死後はこんな内容がくりかえしつづられています。 時が経ち、周りの方の支えもあり、徐々に立ち直ってきている様子の頃の話です。 長女・ななみさんが亡くなる8ヶ月前の結婚式のことを、みんな口をそろえて綺麗だったといった話から、あまりにもななみが美しかったから、神様がそばに置きたくなって連れて行ったのかもしれない… とキャシー中島さんは感じたそうです。 そして、それから10年近く経ち、キャシー中島さんは娘のななみさんを想い、こんな言葉をブログに遺しています。 もしも10年前に戻れたら、私はななみをがんなんかにさせない。 検査をいっぱいして小さいうちに取ってしまう。 もしも10年前に戻れたら、毎日愛してるって言う。 生きていてくれてありがとうと言う。 もしも10年前に戻れたら、小さな体の変化も見逃さない。 もしも10年前に戻れたら、大好きだった歌の仕事をもっともっと応援してあげたい.

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キャシー中島の愛娘、長女ななみが病気で死亡。肺がんの原因に旦那が関係?夫の今現在

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キャシー中島の長女七奈美さんが病気で死亡していた キャシーさんの長女は 勝野七奈美さんと言います。 1979年生まれ。 父親の勝野洋さんの本名である「六洋」と、母親のキャシー中島さんの本名「八千代」の数字「六」と「八」の間を取って「七」の字を用いて名付けられました。 1988年に妹の勝野雅奈恵さんとともにペア写真集『デュオ』を出版し、芸能界デビュー。 後にジュエリーデザイナーとしても活躍。 2008年11月にはヒップホップダンサーの猪田武さんと結婚。 幸せの絶頂にあった勝野七奈美さんでしたが、その直後に不幸が襲いかかります。 2009年2月、新婚旅行先の ハワイで咳が止まらなくなり、帰国後に検査したところ、肺がんが発覚。 「小細胞肺がん」という、特に進行の早いタイプの癌で、生存率わずか6%と宣告されます。 勝野七奈美さんはあくまでも前向きに、 「その6%に入ればいいんでしょ」 「治らなくても、がんに負けなければいいんだ」 と様々な治療を試しますが、額や骨など、身体の様々な部位に転移が進んでいきました。 カテーテル治療や重粒子線・陽子線治療など、様々な高額な最新治療を当たってみたといいます。 しかし、癌の進行を食い止めることはかなわず、 同年7月7日に29歳の若さで息を引き取りました。 七奈美さんは タバコは吸いません。 非喫煙者だったのです。 それなのに 肺がん宣告からわずか4ヶ月という短い期間で帰らぬ人となってしまいました。 肺がんの原因は? 七奈美さんが冒された肺がんの種類、「 小細胞肺がん」が大きく関わっています。 身体に異変を感じたのは年が明けた2009年1月末のことでした。 咳が止まらなくなったのです。 結婚式から年末と慌ただしい時期だったこともあり、「疲れているのかもしれない」なんて会話もあったかもしれません。 キャシー中島さんの自宅近くの小さな病院へ行き、 気管支炎と診断され処方された薬を持って、七奈美さんは新婚旅行でマウイ島へ行ったといいます。 帰国後の七奈美さんの咳はひどくなっていました。 そこで池尻にある大学病院で診察を受けたそうです。 病名は肺炎。 やはり、気管支炎が治りきらないまま海外へ行ったため、悪化してしまった、そんな認識でしたのでしょう。 抗生剤を処方され、「これで大丈夫」と思ったとキャシー中島さんは自身のブログに綴っています。 しかし、七奈美さんの咳は治ることはありませんでした。 鎌倉の病院に検査入院して精密検査を受けました。 検査の 結果は肺がん… 肺がんは早期に発見し治療すれば8割は快方に向かうと言われているがんです。 肺がんと診断されてもなお、キャシー中島さんを始め家族も、また七奈美さん本人も、 この時点では希望を捨てていなかったと思います。 都内に戻り、国立がんセンターでさらに調べてみると、 長女・七奈美さんの肺がんは肺がんのなかでも 最悪の小細胞肺癌であることがわかりました。 その日は勝野の35周年の特別公演を日本橋の三越劇場でやっていて、 次の日が千秋楽でしたので、誰にも言えませんでした。 (中略) もっと早くがんと言うことが分かっていたら、 こんな結末にならなかったのでしょうか。 本当に本当にがんの中でも小細胞がんは最悪ながんです。 私はただ側で見ていることしか出来ない母親でした。 肺がんのなかでも最悪のがんと言われる小細胞がんであるということがわかった日のことを、 キャシー中島さんは自身のブログで以上のように綴っていました。 小細胞がんの進行は驚くほど早く、発見されたときにはすでに全身に転移、末期の状態であることが多いそうです。 がん細胞が1箇所にとどまっている期間が短いので、 小細胞がんで手術を行うのは、極々初期の段階のみ。 肺がんの中でも最悪と言われる所以は以上のことにあります。 最後の方は往診のたびに 自宅に帰りたいと主治医に訴え、念願叶い自宅に一時帰宅で一泊した翌日、病院で容態が急変したそうです。 七奈美さんの死後、キャシー中島さんは七奈美の笑顔が思い出せない、浮かんでくるのはがんに苦しむ表情だけ…と辛い胸のうちをブログに綴っていました。 食べたいのに食べられなかったね。 のどが痛くて痛くて がまんしたよね。 最後に食べたのがピオーネ! それも一粒の半分をやっと。 母の愛情がやばいですね。 とっても悲しみを乗り越えて愛情を超越した何かを感じますね なお、七奈美さんと夫の猪田武さんは、5年の交際の後、結婚されていて、交際が始まって3年くらいから キャシー中島さんたち家族と同居していました。 七奈美さんが亡くなった後も同居は続いたとのことです。 キャシー中島さんはブログに、 武ちゃんは私達ファミリーの一員であり大切な人です! 武ちゃんが一人になりたいと言うまで、私の義理の息子でいてほしい。 猪田武は勝野家には必要な人です。 たから、一緒にいるのが自然なのです。 と記しています。 猪田武さんとキャシー中島さんのお二方は、 七奈美さんの闘病中はずっと付きっきりだったそうで、とても強い絆で結ばれていることがわかります。 現在も同居なさっているかは不明ですが、 猪田武さんは現在アクセサリーやジュエリーの製作販売、ダンス事業や音楽事業を手がける株式会社マナ・ファクトリーの代表をなさっています。 なお、 同社の副社長には勝野洋さんが、取締役には勝野雅奈恵さんが名前を連ねています。 また、妻である 七奈美さんの遺志を受け継ぎ、がん啓発のためのチャリティー事業も展開するなど、事業家として幅広く活躍しています。 夫が再婚? ネット上には、七奈美さんの夫が再婚したという噂も出ていましたが、上に書いたように、最愛の妻の意志を継いで、さらにはご家族も会社に巻き込んで精力的にご活躍されていますので、 再婚したというのはデマのようです。

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キャシー中島が旦那・勝野洋と離婚しなかった理由を明かす 娘や息子との関係性は?

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本当に再婚していたなら、ニュースにもなるだろうしな。 一切メディアで触れられてないってことはガセネタってことだよな。 また、他にも再婚の話がガセだと考えられる事情が多々あります。 というのも、猪田さんは今も勝野家と深く関わって事業を進めているからです。 2人は2007年に、七奈美さんがジュエリーデザイナーでもあったことから、猪田さんと共にアクセサリーショップ「Manna Island(マナアイランド)」を設立しています。 デザイナーはもちろん七奈美さん(NANAMI)で、天然石や貝、パールやサンゴなどの素材を使ったハンドメイドアクセサリーを制作し、南青山で路面店を出店していたのです。 その後、商品数の増加などを受け、路面店を南青山から三軒茶屋店へ移転… 2009年から株式会社化して「株式会社Manna Factory(マナ・ファクトリー)」を猪田さんが代表取締役になって設立しました。 マナ・ファクトリーの会社概要には、役員にこのような記載があります。 代表取締役社長:猪田武• 取締役副社長:勝野洋輔• 取締役:勝野雅奈恵 この株式会社マナ・ファクトリーは現在も代表取締役が猪田さんですが、取締役副社長に七奈美さんの弟・ 「勝野洋輔」さん 取締役には同じく七奈美さんの妹である 「勝野雅奈恵」さんが務めています。 この点から 猪田さんがキャシー中島さんのファミリー(勝野家)と未だに交流があり、深い関係にあることがわかります。 これだけガッツリ勝野家に関わっていたら、再婚をしているとは考えにくいですよね。 しかしながら、キャシー中島さんは猪田武さんに対して、自身の公式ブログでこんな温かいメッセージを残しています。 武ちゃんに聞きました、 あなたの人生よ、まだ若いのだから 次に向かって、歩き出していいのよと、武ちゃんの返事はここに書く必要はないでしょう。 とても大切な言葉でした。 私達家族の宝です。 (2009年9月13日抜粋) 義理の息子、武ちゃんが会場に来てくれました! 本牧出身の武ちゃん、熱心に展示を見ていました!(2014年8月20日抜粋) 武ちゃんは私達ファミリーの一員であり大切な人です! 武ちゃんが一人になりたいと言うまで、私の義理の息子でいてほしい。 猪田武は勝野家には必要な人です。 だから、一緒にいるのが自然なのです。 でも「義理の息子」っていう言葉を使っているところを見ると、やっぱりまだ再婚はしてないんだろうな。 キャシー中島さんの愛を感じる言葉ですよね。 逆に、既に再婚をしていたら、こういう言葉って出てこないでしょうし、ビジネス上の関係性を続けていくことも難しくなるのではないかと考えられます。 そのため、再婚したという情報はガセなのではないかということなのです。 キャシー中島の長女(娘・ななみ)死因は肺がん「タバコ吸ってなかったのに…」 2009年2月、新婚旅行先であったハワイで 「咳が止まらない」などの体調不良を訴えた妻・七奈美さん…病院での検査の結果、 肺癌(小細胞肺癌)が見つかるのです。 小細胞肺癌(しょうさいぼうはいがん)というのは、喫煙者に多いがんです。 かなり手ごわいがんで、増殖が速く、転移もしやすいです。 治療法は薬物療法や放射線療法に対する効果が高いものの、5年後の生存率は5~10%と極めて低いとも言われているがんでした。 七奈美さんはカテーテル治療や重粒子線・陽子治療などを試みましたが、2009年7月7日に七奈美さんは帰らぬ人となってしまいます。 本名は「勝野七奈美(ななみ)」さん、父親「六洋」と母親「八千代」の間の数字、「七」の文字をつかって名付けられた名前です。 両親の愛情を感じる命名ですよね。 1979年生まれだったから、享年29歳。 若すぎる死だな…。 2008年11月の結婚からわずか8ヶ月。 「小細胞がん」という、特に進行の早いタイプのがんで、生存率わずか6%と宣告されます。 勝野ななみさんはあくまでも前向きに、 「その6%に入ればいいんでしょ」 「治らなくても、がんに負けなければいいんだ」 と、様々な治療を試しますが、額や骨など、身体の様々な部位に転移が進んでいきました。 カテーテル治療や重粒子線・陽子線治療など、様々な高額な最新治療に当たってみたといいます。 しかし、がんの進行を食い止めることはかなわず、同年7月7日に29歳の若さで息を引き取りました。 葬儀と告別式は、千日谷会堂(新宿区・一行院)で行われました。 喪主は夫の猪田さん。 ところで、 ななみさん、実は喫煙者ではなかったのです。 それにも関わらず、肺がんの中でも一番最悪な「小細胞がん」になって亡くなってしまうとは…。 それでもまだ「肺炎」の診断しかされなかったんだな。 本人たちも気管支炎のまま旅行なんてしたから肺炎に進行してしまった、位にしか考えて居なかったんでしょうね。 まさかこれが「肺がん」だったなんて、その頃は知る由もなかったわけです。 当然、肺炎の薬で良くなるわけもなく、今度は 鎌倉の病院で精密検査を受けました。 そして、ついに「 肺がん」であることが発覚したのです。 検査の結果は肺がん…肺がんは早期に発見し治療すれば8割は快方に向かうと言われているがんです。 肺がんと診断されてもなお、キャシー中島さんをはじめ、家族も、またななみさん本人も、この時点では希望を捨てていなかったと思います。 しかしその後、国立がんセンターで再度検査を進めると、肺がんの中でも進行が早くて最悪な「 小細胞肺がん」であることが判明したのです。 この日のことについて、キャシー中島さんはブログでこのように語っています。 その日は勝野の35周年の特別公演を日本橋の三越劇場でやっていて、次の日が千秋楽でしたので、誰にも言えませんでした。 (中略) もっと早くがんということが分かっていたら、こんな結末にならなかったのでしょうか。 本当に本当にがんの中でも、小細胞がんは最悪ながんです。 私はただ側で見ていることしか出来ない母親でした。 小細胞がんが最悪といわれるのはなぜかというと、転移が早すぎて、 発見される頃には既に末期になっていることが多いからです。 手術では取り除ききれないレベルで全身に転移してしまってから、ようやく発見されるってことです。 見つかってからでは、どうしようもないのです…。 ななみさんの過酷な闘病生活 闘病生活について、キャシー中島さんはブログに辛い心境をつづっています。 食べたいのに食べられなかったね。 のどが痛くて痛くて がまんしたよね。 最後に食べたのがピオーネ! それも一粒の半分をやっと。 今日は8回しか泣いてないよ、前進だね。 ななみ!ママを褒めてね 長女・ななみさんの死後はこんな内容がくりかえしつづられています。 時が経ち、周りの方の支えもあり、徐々に立ち直ってきている様子の頃の話です。 長女・ななみさんが亡くなる8ヶ月前の結婚式のことを、みんな口をそろえて綺麗だったといった話から、あまりにもななみが美しかったから、神様がそばに置きたくなって連れて行ったのかもしれない… とキャシー中島さんは感じたそうです。 そして、それから10年近く経ち、キャシー中島さんは娘のななみさんを想い、こんな言葉をブログに遺しています。 もしも10年前に戻れたら、私はななみをがんなんかにさせない。 検査をいっぱいして小さいうちに取ってしまう。 もしも10年前に戻れたら、毎日愛してるって言う。 生きていてくれてありがとうと言う。 もしも10年前に戻れたら、小さな体の変化も見逃さない。 もしも10年前に戻れたら、大好きだった歌の仕事をもっともっと応援してあげたい.

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