文豪 の 悪口。 「悪口」を文豪が語るとこんなにも人間くさい

『文豪たちの悪口本』彩図社文芸部編(彩図社)

文豪 の 悪口

作品紹介・あらすじ Twitterで「1冊ほぼ悪口でできてて最高」と話題の一冊! 文豪と呼ばれる大作家たちは、悪口を言うとき、どんな言葉を使ったのだろうか。 そんな疑問からできたのが、本書『文豪たちの悪口本』です。 選んだ悪口は、文豪同士の喧嘩や家族へのあてつけ、世間への愚痴など。 随筆、日記、手紙、友人や家族の証言から、文豪たちの人となりがわかるような文章やフレーズを選びました。 これらを作家ごとに分類し、計8章にわたって紹介していきます。 川端康成に「刺す」と恨み言を残した太宰治、周囲の人に手当たりしだいからんでいた中原中也、女性をめぐって絶交した谷崎潤一郎と佐藤春夫など、文豪たちの印象的な悪口エピソードを紹介しています。 文豪たちにも人間らしい一面があるんだと感じていただけたら、うれしく思います。 現代ならSNSで炎上騒ぎといったところか。 太宰治の川端康成への抗議文はちょっと子供っぽさが見える。 川端康成の方が大人だったということか。 川端以外の人々への言葉から見るに、イメージ通りの太宰が見えてくる。 中原中也は今で言えば毒舌キャラでバラエティに呼ばれそう。 常時周囲に噛み付いてはいるが、それでも自分が噛み付いて良い人間かどうかを注意深く確認しているところなど、小心者振りが垣間見える。 志賀直哉に噛み付く無頼派と呼ばれた面々も、今で言えば大物芸能人に噛み付いてなんとか爪痕を残そうとする新人タレントを彷彿とさせる。 坂口安吾の『不良少年とキリスト』から抜粋した太宰評が最も理解出来た。 坂口の、冷静で第三者的な視点と太宰への深い情を感じられる描写が良い。 夏目漱石先生はまさに『吾輩は猫である』の苦沙弥先生そのもの。 神経質でせっかちで、でも弟子や友人たちへのお世話振りは微笑ましい。 菊池寛の嫌われっぷりがいっそ潔い。 若手小説家たちから永井荷風先生まで、いくら反論しても更に大きく反発され、荷風先生に至っては徹底的に無視され嫌われている。 一体荷風先生との間に何があったのか。 最後の谷崎潤一郎と佐藤春夫との、谷崎の妻千代を巡っての愛情と友情のこじらせ具合がすごい。 傍から見れば笑えるけれど、当事者としてはたまらない。 さらに二人の間を行ったり来たりの千代さんは一体どんな思いだったのか。 作家の人間性とその作家が生み出す作品とは全く別物なんだなと改めて感じる。 だからこそ後世にまで名が残る作家になれるのか。 「〆切本」の後に読んだ本なので、どうしても装幀が簡素に見える。 だがよく考えると「悪口本」が立派な装幀というのも変だ。 だから、これで、いいのだ、たぶん。 ベースはブラックだし、それに背表紙だけで薄ら笑いが浮かんでくる。 太宰治の、あの有名な頬杖をついた憂い顔の画像が入っているのだ。 書店の棚でこの本の書名を見た人は、「おお、太宰が誰かの悪口を言っているか、言われているかだな」と思われるだろう。 訴求力の高さという点で、この背表紙は巧い。 今回は、解説は殆どない。 悪口がエグすぎて、フォローの施しようがない。 それでも笑ってしまうのが、文豪と称された人たちの凄いところだろう。 実に嫌らしくしつこく下衆の極みで、それを名文で綴っている。 「ペンは剣よりも強し」と熟知している人々だから、その筆致も鋭いことまぁ。 今だったらSNSでたちどころに炎上騒ぎとなり、むこう5年くらいは顔出しNGかも。 注意深く暮らしていても、知らず知らず人は間違いを犯すもの。 注意しなければ尚更だ。 しかもこれは誤作動ではない。 相手を傷つけ打ちのめす目的で書かれた手紙や日記・随筆、友人や家族の証言などだ。 更に開いた口が塞がらないのは、大正期の文藝春秋に掲載されたという、文壇を揶揄する「文藝書家価値調査表」というもの。 芥川龍之介から始まる書家約70人の、「学殖・天分・修養・度胸・風采・人気・資産・腕力・性欲・好きな女・未来」がそれぞれ数値化されているのだ。 製作したのは直木三十五らしいが、これはひとの道を外れている(でも可笑しい)。 で、当然ながら文豪たちは真っ向から怒りを表明しているのだが、掲載したのが読売新聞や雑誌・新潮だったというのが、これまた凄い。 編集の人たち、絶対面白がっていたよねぇ。 ゴシップはこうして作られるというモデルケースを見るようだ。 これは呆れる。 でも笑える。 笑って笑って、顔が元に戻らないのではと心配したくらいだ。 坂口安吾の「不良少年とキリスト」の掲載もあり、その中で安吾は太宰治と志賀直哉を評しているが、それがこの本の白眉だろう。 ここだけでもじゅうぶんなほどの読み応えで、後半に載せた夏目漱石や永井荷風、佐藤春夫や谷崎純一郎がむしろ愛すべき人にさえ見えてくる。 誰かの悪口を言いたくなったら、思い切り紙に書きなぐってみると良いのかも。 でも文豪でも何でもないただの凡人なのだから、そこは分をわきまえて誰にも見えないところに廃棄するのが良いのだろう。 ところでワタクシ、自分の悪口を聞くと妙に嬉しくなってしまう変なところがある。 上手い言い方をしてくれるほど、それが大きい。 その悪口は私の外側に対してであって、私自身ではないのだから。 参ったか。 日本文壇の巨匠たちは、作品は素晴らしいが、中身はろくでもない奴らばっかりだなと昔から思っていた。 他人の妻は平気で寝とる、誘惑する、捨てる、金はせびる、返さない、友をなじる、捨てる、嫉妬する......。 しかしここまで悪口が達者だと、やっぱりすごいのかもしれない、大家とはこういうものだ、と思ってしまう。 太宰治はまあコンプレックスの塊で、 「いやしいねえ。 実にいやしいねえ。 自分が、よっぽど有名人だと思っているんだね」(24頁) と言ってみたり、川端康成に 「刺す。 」(16頁) と言ってみたり、いやいや、なんともあけすけ、露骨、大っぴら。 私の大好きな谷崎潤一郎は、自分の妻が嫌で、妻の妹に懸想するが振られてしまう(当たり前だ)。 しかしその後妻とよりを戻す。 最低だなこのおっさん。 そして恋敵の佐藤春夫とは丁々発止、 谷崎はこういう。 冷静ぶってないで言えよ、汚いところをむきだしにせよ(212頁) お涙頂戴なんてことをするな! という内容の書簡を送っている。 あの美しい言葉遣いの、タニザキはどこへ? まあ文豪たちの口汚さったら! 人間らしいというか、黒々として正視に耐えない。 が、だからこそ文豪なのかも。 清濁併せ持つから、他人の心を引きつけるのだから。 太宰が出てくる時点で、「あっ、川端康成に喧嘩吹っかけた話か志賀直哉disだな」と分かってしまった私ですが……。 志賀直哉に怒っていたのは織田作も坂口安吾も同じくしてだったようで。 死にものぐるいで今を生きろっていう安吾の考え方は好きだし、太宰に対する捉え方も好き。 対して中原中也はだいたい多くの人に喧嘩吹っかけてるようなので、「あーまたっすか」って感じが。 でも太宰は尊敬してたんだなあ。 初対面でへどもどして、ずいぶんコテンパンにやられた様だけれど。 夏目漱石の話や菊池寛の話は初めて知った。 佐藤春夫と谷崎潤一郎の話は秋刀魚の件でなんとなく知ってはいたけれど、いろいろあったんだねえ……。 直木三十五が作ったとされる諸家価値調査表、腕力1にされてる泉鏡花が不意打ちすぎて吹いてしまったww.

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川端康成、三島由紀夫もメッタ切り!止まらない文豪の“毒舌”が素晴らしい

文豪 の 悪口

提供 2015年に見つかった太宰治の手紙。 夏目漱石、尾崎紅葉、正岡子規、田山花袋、石川啄木など、明治・大正・昭和に活躍した文豪たちの「皮肉」「嘆き」「怒り」の言葉を集めて紹介した『文豪の悪態』(朝日新聞出版)。 本書の著者で大東文化大学教授の山口謠司氏が、個性にあふれ味わい深い、文豪たちの語彙の一端を紹介する。 * * * 文豪とは、すなわち文学や文章で際立つ力を持った人のことをいう。 すぐに思い浮かべるのは、森鴎外、夏目漱石、永井荷風、川端康成、太宰治などであろう。 しかし、文豪の生活を見ていると、何とも不思議というか、常識では考えられないような「悪態」をついて「目立つ」人たちが少なからずいることに驚かされる。 そして、相手を罵ったり、悪口を言ったりするのにも、やはり、文豪ならではの表現をしているのだ。 いくつかエピソードを紹介しよう。 中原中也は、昭和8(1933)年の晩秋のある寒い夜、坂口安吾、太宰治と酒を飲んだ。 そして、酔いが回ると、太宰に向かって「何だ、おめえは。 青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。 全体、おめえは何の花が好きなんだい?」と絡んだのだ。 「青鯖が空に浮かんだような顔」とは、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(『山羊の歌』所収「サーカス」)など独特の視覚と音感を持った中也ならではの表現であろう。 しかし、この言葉の裏には、二歳年下の太宰のことを「青臭い」という意味がほのめかされている。 昭和8年と言えば、太宰はまだ同人誌『青い花』に「ロマネスク」を発表したばかりの無名の作家にすぎなかった。 ふたりはこの後、ぐでんぐでんに酔っ払って取っ組み合いの喧嘩をするのだが、太宰は中也に対して「蛞蝓(なめくじ)みたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物ではない」と言うのである。 この太宰の中也に対する表現も、人を観察することに優れた太宰の文豪としての言葉であろう。 中也は、当時つきあっていた長谷川泰子といると、子どものように甘えん坊で、どこに行くのかも分からない男だった(長谷川泰子『ゆきてかへらぬ 中原中也との愛』)。 人に対する表現で「青鯖が空に浮かんだような顔」「蛞蝓みたいにてらてらした奴」なんてことは、やはり文豪と言われる中也や太宰ならではの表現と言うほかない。 ところで、永井荷風は、菊池寛のことが大嫌いだった。 それは、荷風が菊池寛の先祖にあたる漢詩人・菊池五山のことを雑誌で書いて「菊地五山」と誤字をしたことをあげつらって『文藝春秋』に書いたからだった。 菊池寛は「自分の名前を書き違えられるほど、不愉快なことはない。 自分は、数年来自分の姓が菊池であって菊地でないことを呼号しているが、未に菊地と誤られる。 (中略)だが、文壇中一番国語漢文歴史等の学問のある永井荷風先生が、菊地と書く時代だから、雑誌社の人達などに、菊地と間違えられるのは、あきらめるより外仕方がないのかな」と書くのである。 これに対して、恥を曝された永井荷風は、『断腸亭日乗』に「菊池は性質野卑(やひ)奸(かん)キツ(キツはけものへんに橘の右側)、交を訂(てい)すべき人物にあらず」と記すのだ。 「野卑奸キツ」という成語はない。 「野卑」とは「下品でいやらしいこと」を、「奸キツ」は「いつわること、いつわることが多いこと」をいう。 しかし、「奸キツ」とは、永井荷風のように漢文に素養のある人しか使えない言葉であろう。 「奸」は「姦」とも書かれるが、「ねちねちと仲間と徒党を組んで良くない行為をすること」をいう。 また「キツ(キツはけものへんに橘の右側)」とは「人の道にはずれたように、ややこしく入り組んだ策を弄すること」を意味する。 菊池寛という人物は、あっさりしたおもしろい人物だったように思えるのだが、永井荷風の目には「野卑奸キツ」と映ったのであろう。 孤独を愛する永井荷風と、大勢と一緒にいることを好んだ菊池寛の性格の違いなのかもしれないが、いずれにせよ「野卑奸キツ」なんて言葉で相手を罵るなどということは、文豪・永井荷風にしかできないことだろう。 文豪たちの語彙の深さ、おもしろさ、そして何より悪態をつく彼らの人間くさい一面を、ぜひ楽しんでもらいたい。 (大東文化大学文学部中国文学科教授・山口謠司).

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文豪は「悪口」もやっぱりすごかった!中原中也、太宰治に永井荷風、菊池寛の“文学的”ののしりあいとは?

文豪 の 悪口

いやあなかなか面白かった。 本書の内容はそのままずばりタイトルの通りなのですが、日本に燦然と名を残す文豪達の「悪口」を紹介しています。 「悪口」といっても悪口雑言の類のものから雑誌や書簡での非難、物言いといったレベルのものも収録されており、単純に面白いだけでなく興味深いといった感想を持てるのが本書に魅力になっていると思います。 本書で取り上げられている主な作家をざっとあげると、、、、、、、.... とそうそうたるメンバー。 彼らの文学的な実績は誰もが知るとおりですが、ではその文豪による「悪口」はどのようなものか。 ここがなかなか差が出るところであって、やはり大作家はちがうと思わせるような表現による罵倒から、作家であっても我々とあまり変わらんなと思わせるくらいダイレクト(?)な表現まで多種多様です。 太宰はある時、バスに乗った際に有名な作家を見かけて「実にいやしいねえ。 自分がよっぽど有名人だと思っているんだね」と吐き捨てる。 またある時は自分が書いたのモデルから似てないと抗議を受けたのに対し「お前は、きっと先が長くないに違いない」と暴言をはく。 ちなみにそのはモデル本人とは似ても似つかなかったといいます。 はに対して「穢い奴」呼ばわり。 友人である子規が冬にトイレに行く時火鉢を抱えていって、戻ったら同じ火鉢ですき焼きを食べていたということがあったことからの発言なので、これはわからなくもない。 の噂を耳にすれば日記に悪口を書くというこの行為は15年以上に渡って続いていたことがわかるから相当の執念です。 だんだん世相の悪化の原因もにあるなどど言い始めており、その憎しみの大きさには閉口するばかりです。 しかもここまで嫌うようになった理由がよくわからないというおそろしさ.... がについて放った「きたならしい」という簡潔をきわめた一言にはある種の美しささえも感じるところがあります。 ただ、ナンバーワンはやはりでしょう。 「 汚れっちまった悲しみに」で有名な詩人、は常識の破壊を掲げる「」に傾倒しており、言動が規格外であったことで有名です。 そんな彼の悪口について、本書では下記のものが紹介されています。 何だ、おめえは。 青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。 初対面のに向かって やい こういってに殴りかかったという。 とは権力者の意。 殺すぞ 大勢で飲んでいた時、こういっての頭をビール瓶で殴ったという。 「卑怯だぞ」と非難されると、「俺は悲しい」と泣き叫んだという。 狂っている。 悪口だけではなく、実際に手をあげているところが他の文豪と一線を画すところでしょう。 その一線は人間として本来越えたらまずい一線である気がしますが。 哀れ太宰は尊敬していた中也に初対面から罵倒され、その後も度々口撃を受けたことに傷ついたのか「蛞蝓(なめくじ)みたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物ではない」とくさしています。 これはしょうがない。 太宰も人のことは言えないだろという感じもしますが。 当然ながら、悪口はひとりでは生まれず、相手がいて始めて成立するものとなります。 この悪口本を通して、同時代に活躍した作家と彼らの関係をうかがい知ることができるという点も本書の価値であると思います。 使用されている漢字など表記の一部がオリジナルから変更されていますが、当時の表現がほとんどそのまま掲載されているのでやや読みにくいきらいもありますが、その分文体の美しさはそのままです。 知られざる文豪の人間的魅力をこの一冊から知ることができることは間違いありません。 SAT4383.

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