お と じゃ お つい ち。 〈大型版〉わたしのせいじゃない せきにんについて|絵本ナビ : レイフ・クリスチャンソン,ディック・ステンベリ,二文字 理明 みんなの声・通販

ドラマ「仁」について質問です。 仁が現代に戻った時に、橘ミキに出会

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燃費向上や直進安定性を高めるために効果を発揮している! エアロパーツというと、レーシングカーに使われているドデカいリヤウイングを思い浮かべるかもしれない。 そうした空力デバイスの狙いはダウンフォース(クルマを路面に押し付ける力)を生み出すことで、具体的には高速コーナリングを可能にするのが狙い。 空気抵抗は速度の二乗で大きくなるという話を聞いたことがある人も多いだろうが、高速域で効果を発揮するのがエアロパーツというイメージもある。 スピードを出すといっても、日本国内ではせいぜい120km/h、街乗りでは60km/h程度しか出さない実用車に、エアロパーツを付ける意味はないように思える。 ファッション的な要素であって、走りには関係ないと思ってしまいがちだ。 まして、ダウンフォースというと空気抵抗とトレードオフの関係というイメージもあるから、ローパワーの実用車にエアロパーツを付けることは加速を遅くするのでは? とも思ってしまう。 しかし、そうじゃない。 軽自動車やハイブリッドカーなどの実用車であっても、空力性能は重要な時代だ。 なぜなら、エアロパーツはダウンフォースを生むだけが役割ではないからだ。 たとえば、市販車に装着されているルーフスポイラーの役割はダウンフォースを生むというよりは、整流効果を考慮していることが多い。 基本的にボディに沿った空気の流れが、ボディ後方で収束する位置を遠くにするほど空気抵抗は減るものだが、市販車のルーフスポイラーはそうした役割を果たしていることが多い。 また、ダウンフォースというのはボディを押し付ける力を生み出すことだが、似て非なる概念として「マイナスリフト」がある。 こちらはボディが浮き上がろうとする力を空力デバイスによって減らそうというアプローチで、うまく設計できれば空気抵抗を増やさずに、ボディをピシッと路面に吸い付かせるような効果を発揮することもある。 実用車で空気抵抗を増やしたくない理由は、燃費の悪化につながるからだ。 ハイブリッドカーなどでは空気抵抗係数の小ささをアピールすることもあるが、さまざまな抵抗を減らすことは燃費改善の基本となるのだ。

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いつまでも息子のままじゃいられない!6|オフィシャルサイト

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燃費向上や直進安定性を高めるために効果を発揮している! エアロパーツというと、レーシングカーに使われているドデカいリヤウイングを思い浮かべるかもしれない。 そうした空力デバイスの狙いはダウンフォース(クルマを路面に押し付ける力)を生み出すことで、具体的には高速コーナリングを可能にするのが狙い。 空気抵抗は速度の二乗で大きくなるという話を聞いたことがある人も多いだろうが、高速域で効果を発揮するのがエアロパーツというイメージもある。 スピードを出すといっても、日本国内ではせいぜい120km/h、街乗りでは60km/h程度しか出さない実用車に、エアロパーツを付ける意味はないように思える。 ファッション的な要素であって、走りには関係ないと思ってしまいがちだ。 まして、ダウンフォースというと空気抵抗とトレードオフの関係というイメージもあるから、ローパワーの実用車にエアロパーツを付けることは加速を遅くするのでは? とも思ってしまう。 しかし、そうじゃない。 軽自動車やハイブリッドカーなどの実用車であっても、空力性能は重要な時代だ。 なぜなら、エアロパーツはダウンフォースを生むだけが役割ではないからだ。 たとえば、市販車に装着されているルーフスポイラーの役割はダウンフォースを生むというよりは、整流効果を考慮していることが多い。 基本的にボディに沿った空気の流れが、ボディ後方で収束する位置を遠くにするほど空気抵抗は減るものだが、市販車のルーフスポイラーはそうした役割を果たしていることが多い。 また、ダウンフォースというのはボディを押し付ける力を生み出すことだが、似て非なる概念として「マイナスリフト」がある。 こちらはボディが浮き上がろうとする力を空力デバイスによって減らそうというアプローチで、うまく設計できれば空気抵抗を増やさずに、ボディをピシッと路面に吸い付かせるような効果を発揮することもある。 実用車で空気抵抗を増やしたくない理由は、燃費の悪化につながるからだ。 ハイブリッドカーなどでは空気抵抗係数の小ささをアピールすることもあるが、さまざまな抵抗を減らすことは燃費改善の基本となるのだ。

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動詞には「んじゃない」で接続する方が多いとおもいますが Aあのみちをまっすぐ行くじゃない。 Bあの道をまっすぐ行くんじゃない では意味がちがいます。 Aはあのみちをまっすぐいくと 意志 推定の要素が強い Bはあの道をまっすぐ行くのではないかしら 仮定 推量の要素がつよい。 兎に角例文を沢山作って類推する様にされたらいかがでしょうか。 、 例えば 笑うじゃない 笑うんじゃない どちらも推量の意味のだとおもいますっが、んじゃないの方が柔らかい言い回しだと思います。 この回答への補足 ご回答ありがとうございます。 辞書に出ている意味用法の基本はご回答くださったとおりです。 ただ、実際には同じ「じゃない」でも次のa,b,cのようにイントネーションによって意味が変わってきます。 鯨 くじら は魚じゃない。 <池の中を見ながら> ねえ見て。 あそこにいるの、あれ魚じゃない。 <池の中を見ながら> A: あれ草? B: 何言ってるの。 魚じゃない。 B:そうみたいね。 A:奨学金申し込んでも通らないよね。 この場合、「じゃない」と「いいんじゃない」の違いは「の」の意味用法の違いと見ていいのか疑問です。 例えば、「俺じゃない」「俺んじゃない」と言った場合、前者は、何かをやらかしたと疑われた者が「それをやったのは俺ではない」という意味だし、後者は、落し物など「あなたのですか?」と訊かれて「いや、俺の物じゃない」という意味ですよね。 別の使い方だと、例えば先生が生徒に問題を解かせて、答えが違う場合、「これ違うじゃない」と言えば、「明らかに違ってるよ」と教えてるわけだし、「これ違うんじゃない」と言えば、「合ってるようだけど違うのではないかしら?」と、再考を促すような言い方になるわけです。 ほかにもあるかなぁ。 どういう場面での「じゃない」「んじゃない」なんでしょうか。 Q 外国人です。 「~んじゃない」という言い方に質問があります。 基本的に、「~んじゃない」は「~のではない」の略だと思っています。 けれど、「こんな所へ来るんじゃなかった」や「そんなことするんじゃねぇ!」などの場合にはそうではないと分かるつもりです。 考えてみたら、この「~んじゃない」の「ん」は「の」の略ではなく、「べき」の略かもしれません。 そうなると、「こんな所へ来るんじゃなかった」は「こんな所へ来るべきではなかった」の略となります。 これは一先ず問題ありません。 しかし、「そんなことするんじゃねぇ!」は「そんなことするべきではない!」を意味するか否か私にはよく分かりません(その意味はてっきり「そんなことするな!」だと思います)。 この「~んじゃない」は「~べきではない」の略でしょうか。 もしそうでなければ、これはどういう意味でしょうか。 どうか教えてください。 A ベストアンサー おっしゃる通り、「~んじゃない」は「~のではない」の意味です。 「略」というより、くだけた表現です。 「来るんじゃなかった」も、基本的に「来るのではなかった」です。 結局、「~である、だ」は断定の意味で、そこから「すべき」の意味が出るのだと思います。 確かに「来るのではなかった」ではそういう響きは薄く、 「来るんじゃなかった」の方がそう感じます。 だからと言って「すべき」の略、ということにはならないと思います。 「そんなことするんじゃねぇ」はもっとくだけていて、 「そんなことするんじゃない!」でも同じです。 これは確かに「そんなことをするな!」の意味です。 そもそも「略」ではなく、どういう意味なのかと解釈するのであり、 断定の「である」に「すべき」的な意味があることから来ており、 「すべきでない」も「するな」も解釈の違いにすぎません。 別の言い方をすれば「そんなことをするな!」となり、 「そんなことをすべきでない」だと弱く感じます。 しかし、これも断定の「である、だ」から来ているとしかいいようがないと思います。 Q 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。 「を通じて」 1.秘書を通じて社長との面会を乞う。 2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。 3.テレビを通じて広告をする。 4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。 「を通して」 1.書物を通して世界を知る。 2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。 3.仲人を通して娘の縁談を進める。 4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。 どうか、よろしくお願い致します。 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を... A ベストアンサー 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。 ) なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。 ・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。 医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない( 4のご回答でも指摘がある。 ) ・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。 更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。 私なら、もっと軽い感じに、 「実践的な臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床の経験を重ねる。 」 「臨床の実践経験を積む。 」 などなどでもよさそうに思います。 4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、 2と 4は、似ているようです。 改めて、いくつか意見を述べておきます。 一つ目は、 「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、 「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、 ということです。 (短めの漢語は、中間。 ) 二つ目は、 「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。 「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、 もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。 三つ目は、 「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。 「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。 四つ目は、 「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、 「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。 これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。 改めて考えても、 2 3も、 4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。 4では >「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの 3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.) とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。 3では >「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、 >(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。 ) >具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、 >ということです。 の 「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」 というのは、"単なる" に意味の重点があって、 「秘書に重きをおかない」という意味です。 ところで、質問では、 「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 」 とありますが、 この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど... A ベストアンサー 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか? ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、 私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。 「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。 これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。 1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。 」 2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。 」 1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。 2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。 1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。 」 2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。 」 これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。 2は素直な人が話しているなら単なる並列。 ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。 とまあ、こんなところです。 前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。 色々な回答がつくといいですね。 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか?... A ベストアンサー 格助詞「に」と「と」の違いですね。 この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。 「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。 「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」 「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。 「すったもんだの末、結局彼が村長となった。 また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。 html A ベストアンサー こんにちは。 以前書いたもののコピーですが。 4 V-てから 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という 意味合いがあります。 ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、 「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の 場合は、「~てから」の方がぴったりします。 買物をしてから、映画を見ました。 これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。 歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝御飯を食べてから歯を磨き ますか。 見てから読むか、読んでから見るか。 ピカッと光ってから、どーんと音が聞こえる。 以上の例では「~あとで」でも言えますが、以下の例ではどうでしょうか。 切符を買ってから中に入る。 ちょっと口をすすいでから歯を磨く。 準備運動をよくしてから、泳いでください。 これらは、「~あとで」で言えないことはありませんが、少し不自然です。 これらの「AてからB」のAは、Bをするために必要なことで、「あと」にす るのでは無意味な場合です。 また、時間の経過を表す場合も、「~あとで」は不自然です。 夜が明けてから人家を探そう。 (?あとで) 秋が来てから、急に人通りが多くなった。 占領が終わってからでも、もう50年近くの時間が過ぎた。 最初の文明が生まれてから1万年。 「だ」が付いて文末に来る場合もあります。 「~のN」の形にもなります。 乾杯は会長が来てからだ。 起こすのは医者が来てからでいい。 そのあとのことは、まずやってみてからの話だ。 「V-てからでないと、~ない」という表現がよく使われます。 まずモノを見てからでないと、何とも言えませんね。 入会金を払ってからでないと、アクセスできません。 それから、「Aのあと今まで に 」「A以来ずっと」の場合も「~てから」 が使われます。 勉強を始めてから、多くのことを学びました。 生れてから、ずっとこの町に住んでいます。 パソコンもウインドウズになってから、多少使いやすくなった。 「AてからBまで」の形にもなります。 小学校に入ってから大学を出るまで、ずっと机の前に座っていた。 小学校に入ってから大学を出るまでの16年間 「は/も/より」などの副助詞をつけることもできます。 来てからは/も 来てからさえ も 来てからより も ここに移ってからは、時間がゆったりと流れるようです。 こんにちは。 以前書いたもののコピーですが。 4 V-てから 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という 意味合いがあります。 ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、 「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の 場合は、「~てから」の方がぴったりします。 買物をしてから、映画を見ました。 これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。 歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝... A ベストアンサー 「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の 1 、 2 、 3 のような違いがあると思います。 ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。 ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。 1 「れば」は、現在形の仮定です。 この仮定は、普通の仮定です。 (例)気温が下がれば、寒くなる。 2 「たら」は、過去形の仮定です。 2つの用法があります。 一つ目は、過去に起こったことに対する仮定です。 すなわち、現実には起こらなかったことに対する仮定です。 (例)もし、彼が事故に合わなかったら... (実際には事故に合った) もう一つの用法は、現在、または、未来に対する仮定です。 この仮定は本来は、実際には起こる可能性が非常に低いこと(あるいは、感情として絶対起こって欲しくないこと)を仮定する場合に用います。 (例)もし、彼が死んだら、生きていけない。 (例)もし、空を飛べたらどんなに楽しいだろう。 3 「なら」は、「動詞等終止形+(の)+なら」あるいは「名詞or名詞句」+「なら」として使います。 意味的には、仮定というより、「~~の場合は」的な意味になります。 (例)赤なら止まれ、青なら渡れ。 (例)飲むなら乗るな、乗るなら飲むな。 (例)歩くなら良いが、走るならごめんだ。 以上の3つの違いを中国の方に説明する場合は、以下のような関係になると思います。 1 「れば」=如果 ruguo 2 「たら」=万一 wanyi 3 「なら」=的時候 deshihou 以上です。 「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の 1 、 2 、 3 のような違いがあると思います。 ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。 ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。 1 「れば」は、現在形の仮定です。 この仮定は、普通の仮定です。 (例)気温が下がれば、寒くなる。 2 「たら」は、過去形の仮定です。 2つの用法があります。 一つ目は、過去に起こったことに対する仮... A ベストアンサー 多分、 「この芸人、超おかしくない?」 って書くと 「このラーメン、超おいしくない?」 「このスカート、超かわいくない?」 に感じた違和感と同じ違和感を感じる筈です。 「~と思います」の間接的表現に「~のではないだろうか」と言うのがあります。 「おかしいのではないだろうか」 「おいしいのではないだろうか」 「かわいいのではないだろうか」 どれもすべて「肯定+のではないだろうか」であって 「おかしいと思います」 「おいしいと思います」 「かわいいと思います」 と言う意味です。 「のではないだろうか」を「のではない+だろうか」と「誤解」した場合「肯定+のではない(否定)+だろうか」になります。 この状態で「だろうか」を削り、肯定+否定=否定、として短縮し、疑問符を付加すると 「おかしい+否定+?」=「おかしくない?」 「おいしい+否定+?」=「おいしくない?」 「かわいい+否定+?」=「かわいくない?」 になります。 これが、今の若者言葉なのでしょう。 さて「何故『おかしくない?』にだけ違和感を感じないか?」と言う点ですが、「おかしくない?」だけは「以前から普通に使われていたから」だと思われます。 例えば「この計算、ちょっとおかしくない?間違っているんじゃない?」とか「合計金額、おかしくない?」など。 若者言葉が出来る前から「異常があるようだ」と言う意味で「おかしくない?」が普通の言葉として使われていたので「違和感が無い」のでしょう。 多分、 「この芸人、超おかしくない?」 って書くと 「このラーメン、超おいしくない?」 「このスカート、超かわいくない?」 に感じた違和感と同じ違和感を感じる筈です。 「~と思います」の間接的表現に「~のではないだろうか」と言うのがあります。 「おかしいのではないだろうか」 「おいしいのではないだろうか」 「かわいいのではないだろうか」 どれもすべて「肯定+のではないだろうか」であって 「おかしいと思います」 「おいしいと思います」 「かわいいと思います」 と言う意味です。 Q 『日本語文型辞典』によりますと、「おきに」について次のような説明がのせてあります。 1 大学行きのバスは10分おきに出ている。 2 この道路には10mおきにポプラが植えられている。 3 この薬は二時間おきに飲んでください。 以上の例文のように、時間や距離の軸上の点を意味する場合は、「ごとに」と置き換えられる。 ただし、1という数の場合は、次の例のように「おきに」を「ごとに」変えると意味が変わる。 (例)一年おきに大会が開かれる。 (2年に1回) (例)一年ごとに大会が開かれる。 (1年に1回) ここでお伺いしたいのは、「おきに」と「ごとに」の意味が違うのは1という数の場合だけでしょうか。 例 1 ~ 3 の場合は「ごとに」に置き換えても意味に何の変わりもないですか。 そうだったら、「一年おきに」と「二年おきに」の意味が一緒になるのではないでしょうか。 わずらわしいですが、どうか教えていただけないでしょうか。 A ベストアンサー 「Nおきに」(Nは数量)というのが、「Nごとに1回」なのか「(N+1)ごとに1回」なのかを明確に決める文法上のルールはないようです。 単位によって違うのだとか、数によって違うのだとか、連続量(アナログ)と離散量(デジタル)で違うのだとかいろいろ説明できますが、どれも決め手に欠けます。 「2年おきに」は「2年に1回」かもしれないし、「3年に1回」かもしれません。 ~おきに といわれたら、聞き返したほうがよいと思います。 人によって意味が異なるからです。 (例1) Aさん「この行事は、来年から2年おきに行います。 」 Bさん「3年に1回ということですね?」 Aさん「いえ。 2年に1回です。 2年ごとに開催します。 」 例2) Aさん「5分おきにベルを1分間鳴らしてください。 」 Bさん「5分に1回鳴らせばいいのですね?」 Aさん「いえ。 1分鳴らしたら5分休みます。 6分に1回鳴らすということです。 」 何かの文書に書いてあって、聞き返すことが不可能な場合は、残念ながら本当の意味は不明のままになるかもしれません。 自分が使う場合は、「~おきに」は意味が明らかな場合以外は避けたほうがいいと思います。 「~ごとに」とか「~に1回」を使うのがいいでしょう。 nhk. html 研究中らしいですね。 あいまいな表現は避けようという内容です。 htm 「2年おきに」を2年に1回という意味で使っています。 city. hakodate. hokkaido. htm 「水道料金は2か月おきに下水道使用料といっしょに請求いたします。 」とありますが、3か月に1回でなくて、2か月に1回請求されるはずです。 「Nおきに」(Nは数量)というのが、「Nごとに1回」なのか「(N+1)ごとに1回」なのかを明確に決める文法上のルールはないようです。 単位によって違うのだとか、数によって違うのだとか、連続量(アナログ)と離散量(デジタル)で違うのだとかいろいろ説明できますが、どれも決め手に欠けます。 「2年おきに」は「2年に1回」かもしれないし、「3年に1回」かもしれません。 ~おきに といわれたら、聞き返したほうがよいと思います。 人によって意味が異なるからです。 (例1)... A ベストアンサー 幾つかのポイントを立てて考えてみました。 1.こもる(自動詞) 隠もる 中に入って出ないでいる 、籠もる(社寺に泊まって祈念する)。 2.こめる(他動詞) 籠める(集めて中に入れる)、罩める(霧などで辺りが一杯になる)、込める(入れ物などに詰める)。 3.こむ(古語) 「こもる」と「こめる」の意味を担って、「こむ」には、自動詞と他動詞、また活用も四段と下二段の四通りに拡大し、「籠む」の他に、「進む意味を表わすシンニョウに、入を加えて、積極的に物を入れることを表わす」 「角川 漢和中辞典」 ための国字 和製漢字 「込」が用いられるようになった。 4.…こむ(接尾語的用法) 多くの動詞の連用形に付いて、様々な複合動詞として用いられる。 5.込み…(補助動詞を伴う) 他の動詞を補助的に伴って複合動詞を作る。 以上、ざっと見たとおり、「込む」という動詞は極めて多様な役割を持って来ています。 6.ラッシュアワーの訳語 "rush hour"という英語は、1898年 明治31年 に出現しているようです。 「ランダムハウス英和大辞典」 角川小辞典「外来語の語源」によれば、この邦訳語は田中一郎編「新しい外来語の辞典」に「混み合い時間」として、英語出現の26年後である1924年 大正13年 に現れています。 では何故「込み合い」という字を使わず、「混み合い」という、当時の辞書にはない用法を採用したのか。 こみあふ【込合】直 ヒタ ト群ガル。 雑 マザ リ集マル。 大槻文彦「言海」 ここで、小学館「国語大辞典」の「込み合う」の項の 三 に、「異性に手を出す/ちょっかいをかける」という意味が出ています。 例文「宿屋の女にこみやふ位は大目に見てくれてもいい訳だ」 歌舞伎綴合「新著膝栗毛」。 もしかすると、ちょうど「待ち合い」にもそのような意味があるように、当時はまだそのへんの意味も生きていたので、あえて造語風に「混み合い」という、いわば無機的な意味をのせたのではないでしょうか。 その5年後 1928年 昭和3年 には、「混雑時間」 竹野長次監修「音引正解 近代新用語辞典」 や「混雑する通勤時間」 国語研究会編「新外来語辞典」 など「混雑」という言葉の用いられ方が現れています。 日本で電車が運行を開始したのは1909年 明治41年 からであり、この年末には内閣鉄道院が設置され、いわゆる院電(後の省線電車)が走り出します。 やがて、サラリーマン 月給取 (大正13年)、ホワイトカラー 職人階級以上の人 昭和6年 といった新用語も生まれています。 以上のようにして、おそらく院電(省線電車)関係者か、時のサラリーマン通勤者、もしくはそのラッシュアワーの酷さを報道するマスコミにおいて、「混み合う」という新用語や「混雑」の新たな用法が広まって行ったと見てはいかがでしょう。 言い換えれば、交通機関 電車や道路 や集合場所(広場や浴場)「混雑」「混み合う」以外では、これまでの辞書用例どおり、「込む」で十分なのではないでしょうか。 電車に人がどんどん乗り込み、ますます込んでくると、もはや身動き取れないほどに中は混み合ってしまって、息もできないほどだ。 幾つかのポイントを立てて考えてみました。 1.こもる(自動詞) 隠もる 中に入って出ないでいる 、籠もる(社寺に泊まって祈念する)。 2.こめる(他動詞) 籠める(集めて中に入れる)、罩める(霧などで辺りが一杯になる)、込める(入れ物などに詰める)。 3.こむ(古語) 「こもる」と「こめる」の意味を担って、「こむ」には、自動詞と他動詞、また活用も四段と下二段の四通りに拡大し、「籠む」の他に、「進む意味を表わすシンニョウに、入を加えて、積極的に物を入れることを表わす」 「角川...

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