ミッキー コーエン。 LAギャングストーリーはどの位実話なのでしょう? 又、エンデ...

【アメリカ犯罪史】 ミッキー・コーエン (1950年11月1 [21111416]

ミッキー コーエン

深夜放送で、1997年公開のアメリカ映画「L. コンフィデンシャル」を 見たのですが、最初は、コメディー&B級的なアクション刑事映画の 感じで、スタートするのですが、だんだん重厚感と凄味が出て来て、 シリアス、リアルさが加わり、陰鬱さが出て来るのですが、ラストは アメリカ映画らしく、驚きと爽快さを残し、骨格のしっかりした 映画となっていました。 マフィアの幹部であるミッキー・コーエンの 逮捕をきっかけに、コーエンが手中に収めて手板裏社会の利権を巡り、 血みどろの抗争が勃発。 コーエンの部下が次々と殺され、彼らが手中に 収めていた麻薬はいずこかへ消えて行った。 そんなある日、コーヒーショップで客と店員が皆殺しにされる殺人事件が 発生し、被害者の1人は、血のクリスマス事件の責任を問われ市警を懲戒 免職になった元刑事のステンスランドで彼の相棒であったバド・ホワイト 巡査(ラッセル・クロウ)は復讐を誓い、昇進したばかりのエド・エクスリー 警部補(ガイ・ピアース)、署で「ハリウッド・ジャック」と呼ばれている ジャック・ヴィンセンス巡査部長(ケヴィン・スペイシー)とともに 捜査を始めていき、やがて犯人と思われる男の三人組を追い詰め、銃撃戦の 末に三人はエドに射殺され、これで事件は解決したと思われたが・・・。 コンフィデンシャル」は、一つの 物語ですが、3人の個性的な刑事が、一つの事件に関わり、それを 深く描いていて、「トラフィック」は、公開年が早い「L. コンフィ デンシャル」を3本にした感じがあります。 この映画は、第64回ニューヨーク映画批評家協会賞ならびに第23回 ロサンゼルス映画批評家協会賞で作品賞を受賞し、第70回アカデミー 賞においても9部門にノミネートされ、作品賞の最有力候補と目され ていましたが、同時期に公開された「タイタニック」が史上最多 タイ記録となる11部門を受賞し、本作の受賞は助演女優賞と脚色賞の 2部門に止まった経緯があります。 巨額な製作費の「タイタニック」と公開年が同じ事が不幸で、1年違って いたら、アカデミー賞をもっと受賞していた事は間違いありません。 現在の米ドラマでは「シェイズ オブ ブルー ブルックリン警察」に 通じる警察の暗部が描かれ、ラストは、ドラマ「相棒」でよく 描かれる、警察組織の灰色の結末が描かれ、そのままでは 後味が悪いので、サプライズ的なハッピーエンドとなっています。 実は、この映画でチョイ役の不運な俳優・マット・レイノルズを演じ ている俳優に見覚えがあると思ったら、何と2008年からスタートした 米人気ドラマシリーズ「メンタリスト」の主役・パトリック・ジェーンを 演じるサイモン・ベイカーで、彼はこの映画で、アメリカ映画デビューを 飾っていました。 〇ミッキー・コーエンの逮捕 映画の冒頭で大物ギャングのミッキー・コーエンが逮捕されますが、 本物のミッキー・コーエンも1950年に脱税で逮捕されています。 〇血のクリスマス事件 Bloody Christmas バドやステンスランド達が留置中の被疑者に 暴力を振るい乱闘騒ぎを起こすが、1951年のクリスマス・イブにLAPDは 同様に乱闘騒ぎを起こしている。 これは警察官の暴力を端的に表す事例 として、当時も騒がれました。 〇ジョニー・ストンパナート&ラナ・ターナー エドが女優そっくりの高級娼婦と間違えて、本物のラナ・ターナーを 娼婦呼ばわりする場面。 あそこでラナはジョニーと一緒にいますが、 本物の二人も恋愛関係にあった。 史実のジョニーはラナに日常的 に暴力を振るっていたため、後に彼女の娘に刺殺されています。 〇刑事ドラマとテクニカルアドバイザー ジャック・ビンセンスがテクニカルアドバイザーを務めていた刑事 ドラマ「名誉のバッジ」。 元ネタは1950年代から放映された刑事ドラマ 「ドラグネット Dragnet 」で、これは実際にLAPDが扱った事件を基に 物語が作られていて、映画と同様に現役警察官のテクニカルアドバイザー がいて、LAPDの強盗課に勤務するマーティン・ウィン巡査部長がその人。 彼は風紀課や殺人課勤務で勤務した経験も有していました。 〇新しい警察本部 映画のラストシーンで新しい警察本部に移る旨が本部長より伝えら ますが、この新しい本部とは1954年に実際に竣工したロス市警本部のこと。 当初は警察管理ビル PAB と称され、後に病死したウィリアム・H・ パーカー本部長の名前にちなみ、パーカーセンターと改名された。 ウィリアム・H・パーカーはLAPD近代化の父と呼ばれ、腐敗と暴力 対策に取り組みました。 ちなみに2009年に竣工した新市警本部はニューパーカーセンターと 命名されています。

次の

「LAギャングストーリー」を観た人に質問です。ミッキー・コーエン...

ミッキー コーエン

「ミッキー・コーエン」の悪人ぶりが・・・あまり際立って描かれていないからです。 つまり、「コーエン」は低能なチンピラ的悪人であっても、「社会を震撼させるほどの悪人ではない人物」という描かれ方です。 ・・・なので、LAPDが法を破っても、コーエン一派に殲滅戦を決意・決行する動機が希薄になってしまっているのです。 ご質問者さまのご意見に一部反論するようで大変恐縮ですが、私の正直な感想です。 ただ、『L. ショーン・ペンやジョシュ・ブローリン、エマ・ストーン始め、多くの出演者は奮闘演技した傑作といえなくもないですね。 以下は、同作の僕の鑑賞ノートです。 劇画『ゴルゴ13』を上手く実写化すれば、こんな痛快な、大人の男が拍手したくなる娯楽作となるだろう。 仲間を集める所は、『七人の侍』(=『荒野の七人』)のようであり、ナイフ投げの名人は、ジェームス・コバーンを思い出させる。 何と言っても、敵役の大ボスをショーン・ペンが大真面目にやったのがいい。 『アンタッチャブル』でアル・カポネを演じたロバート・デ・ニーロ以来の怪演だろう。 主演のジョシュ・ブローリンは、ユル・ブリンナーや志村喬のように頼りがいがあり、タフなリーダーを堂々と演じ、次回作が楽しみ。 若い頃『ターミネーター2』で存在感を示したロバート・パトリックが、熟練のガンマンとして、皆を銃や精神面で支え、格好いい。 時代を感じさせる画面の色合いやセットもよく、気分よく古きよきロスアンジェルスの雰囲気に浸れた。 「アウトレイジ」に出てくるヤクザたちの方が怖いです、僕は。

次の

L.A.コンフィデンシャル(タイタニックの影に隠れた秀作): ミーハーランド

ミッキー コーエン

< 12ページ目 > 1957年 タブーに挑み、脅迫されたジョーン・フォンテイン 映画 『日のあたる島』 が物議を醸した。 タブー視されていた白人と黒人のラブ・シーンが描写されていたからだ。 役に挑んだのはとハリー・ベラフォンテ。 愛を語って抱擁するシーンがあるだけだったが、人種差別者たちが黙っていなかった。 ジョーン・フォンテインには嫌がらせの手紙が何通も届いた。 「 お前は黒人相手に仕事をしなければならないほど金に困っているのか 」。 手紙の多くに小銭が同封してあったという。 (左の写真) 『日のあたる島』 ジョーン・フォンテインとハリー・ベラフォンテ 通報を受けたFBI が調べたところ、手紙の多くは文面がほとんど同じものであり、白人至上主義を唱えるKKK団の仕業だったらしい…。 「ウィ・アー・ザ・ワールド」 1985年) を大ヒットさせた。 1958年 風雲児マイク・トッドが飛行機事故死 3月22日、映画製作者での夫だったマイク・トッドが飛行機事故で亡くなった。 貧しい家庭に生れ、高校も中退という境遇ながら、舞台の興行主として成功を収めると、鳴り物入りで映画界に参入。 ワイドスクリーンの一方式を開発し、そのお披露目のドキュメンタリー映画 『これがシネラマ だ』 1952年) を製作。 次に、シネラマの欠点を改良した 「トッドAO方式」 を開発すると、オールスター・キャストの大作 『八十日間世界一周』 1956年) を製作し、大ヒットさせた。 1957年2月、世界一の美女と謳われていたエリザベス・テイラーと結婚 共に3度目)。 翌3月に開催されたアカデミー賞で、『八十日間世界一周』 が作品賞を受賞。 ハリウッドの風雲児、時の人となった。 (左の写真) アカデミー賞授賞式にて。 エリザベス・テイラーと 1957年8月、エリザベス・テイラーとの間で娘も授かった できちゃった婚?)。 1958年3月22日。 自家用機がニューメキシコ州で墜落。 吹雪のためエンジンが故障したとされている。 搭乗者はトッドの他にパイロット2人と伝記作家の合計4人。 エリザベス・テイラーは風邪をひいたため搭乗を見合わせていた。 また、も搭乗を見合わせ、難を逃れたという。 エリザベス・テイラーと 1958年 ラナ・ターナーの娘が母親の愛人を刺殺 の愛人が、彼女の娘に刺殺される事件が発生。 一大スキャンダルとなった。 ラナ・ターナーは8回も結婚・離婚した他、多くの男性と浮名を流し、恋多き女性としても有名だった。 自伝によれば、生涯で4回身籠り、無事に出産したのは1回。 他の3回は中絶・死産している。 ちなみに、4回とも父親が異なり、その1人は未婚のだった。 1人娘のシェリルは、2人目の夫ステファン・クレインとの間で授かり、1943年7月に出産している。 (左の写真) ラナ・ターナー、シェリル、ステファン・クレイン 殺されたのはイタリア系アメリカ人のジョニー・ストンパナート。 ロスアンゼルスのマフィアのボス、ミッキー・コーエンの用心棒だった札付きの悪人だ。 ラナがジョニーに出会ったのは1957年。 人気に陰りが見え始め、長年在籍していたMGM社から契約を打ち切られ、4人目の夫と離婚した時期だった。 ジョニーはラナにターゲットを定めた。 ジョニーの手帳には裕福な女性たちの住所や電話番号が記載されており、その中には、アニタ・エクバーグ、ザ・ザ・ガボール等の名前も載っていたという。 贈り主は 「ジョン・スティール」 ジョニーの偽名)。 そして、電話がかかって来た。 なぜ番号を知っているのか不思議だったが、さして気にも留めず、気軽に会うことを約束した。 ジョニーはプレゼント攻勢でラナの歓心を買うことに成功し、2人は恋人となった。 (左の写真) ラナ・ターナー と ジョニー・ストンパナート ラナは映画 『 Another Time, Another Place 』 1958年) の撮影の為、イギリスへ飛んだ。 残されたジョニーに不安がよぎった。 ラナは恋多き女性だ。 せっかくの金づるを他の男に寝取られるかもしれない。 ジョニーもイギリスへ飛んだ。 撮影現場へ行ってみると、案の定、ラナが見知らぬ顔の年若い男優といちゃついていた。 ジョ ニーはその男優に拳銃を突きつけ、ラナにちょっかいを出すなと脅した。 しかし、相手は少しも動じず、拳銃を掴むとそのままジョニーの手首をね じってやり込めた。 ジョニーはアメリカに強制帰国させられた。 ジョニーの正体を知ったラナは別れ話を切り出したが、この手の男の常套手段で脅された。 「 お前が眠っている間にヌード写真を撮った。 そいつをバラ撒くぞ 」。 ジョニーは事あるごとに暴力を振るうようにもなった。 (左の写真) 右から、シェリル、ジョニー・ストンパナート、ラナ・ターナー 4月4日。 ビバリーヒルズのラナの自宅の寝室で、ラナとジョニーは激しく口論し始め、ジョニーが暴力を振るいだした。 「 ママが殺されてしまう 」。 娘のシェリル 当時14歳) はキッチンでナイフを手に取ると、寝室に向い、ジョニーの腹にナイフを突き刺した。 ジョニーの葬儀はマフィアのボス、ミッキー・コーエンが取り仕切った。 極めて安物の棺が用意され、ラナがジョニーに書いたラブ・レターがタブロイド紙に売り渡された。 (右の写真) ジョニー・ストンパナート の死体 4月12日、裁判は全米の注目の的となり、100人以上のマスコミ関係者が集まった。 裁判は4時間に及び、その内の1時間はラナの証言だったが、陪審員の審理は25分で評決された。 シェリルの正当防衛が認められ、無罪放免となった。 (左の写真) 法廷で証言するラナ・ターナー 左から、シェリルの父親ステファン・クレイン、 ラナ・ターナー、ラナの母親 法廷でのラナ・ターナー 右の男性が手にしているの凶器のナイフ 娘のシェリルは、まだ10代前半で、義理の父親 ラナの4人目の夫) からレイプされるという悲惨な目にも遭っている。 ジョニーの事件により精神的なダメージを受け、治療所に入れられたこともあった 脱走したらしい)。 このような経験が影響したのか、男性なしではいられなかった母親とは対照的に同性愛者になった。 (右の写真) ラナ・ターナー(左) と シェリル 高校卒業後、一時期モデルをしていたが、実父のステファンが経営するレストランで働くようになった。 1988年、母親の恋愛遍歴やハリウッドでの生活に関する著作物を出版。 2014年、40年以上パートナーだった女性とめでたく結婚した。 (左の写真) ラナ・ターナー(右) と シェリル.

次の